2017年で100周年!『ファティマの奇跡』と『第三の秘密』

スピリチュアル

はじめに

こんにちは、takumiです。いつもご覧いただき、ありがとうございます! ご縁に感謝です。

今回は、2017年で100周年を迎えた「ファティマの奇跡」について書いていこうと思います。 カトリック教会では、聖母出現100周年の催しやミサが各地で行われていたり、教皇(ローマ法王)フランシスコも2017年5月にファティマを巡礼されるなど、大きなイベントとなっています。

カトリック信者の方でなくても、スピリチュアルに興味がある人の多くがご存知の、ポルトガル・ファティマで起きた奇跡、聖母出現の話ですが、それが起きたのが1917年5月13日から10月13日にかけてなんです。 つまり、2017年で100周年を迎えました。 第三の予言が謎とされていたり、いくつもの不思議なことが起きた「奇跡」について、これはもうキリスト教徒でなくても興味が尽きないことが目白押しの出来事なのです。

実際、僕も以前は、「マリア様出現」というのは、キリスト教に携わる人だけの何か出来事のように思っていて、ルルドやファティマの聖母出現の話はとても興味深いのだけど、僕なんか蚊帳の外といいますか、関係ないことのようにも感じていたのが実際のところです。

しかし、いろいろと調べていくうちに、知らないことがいっぱい出てきて、楽しくなってきました。しかし、中には、尾ひれがついて事実が誇張されたりしている話も多く、その点は注意しなければなりませんが。

ファティマで起こった出来事を見ていく前に、この物語の場所と登場人物をあらすじとともに整理しておきましょう。

時は1917年、第一次大戦の真っ最中でした。ポルトガルのファチマという小さな農村の町で、3人の牧童(羊の世話をする子ども)、ルシア(ルチア、当時10歳)、フランシスコ(同9歳)、ジャシンタ(ヤシンタ、同7歳)の前に聖母が現れ、5月から10月の間にかけていろいろなメッセージを残し、「太陽のダンス」と呼ばれる奇跡を起こした。フランシスコとジャシンタは兄妹で、ルシアとは従姉妹の関係。


(ジャシンタの家の前で、1917年7月13日撮影。画像:ST.LOUIS REVIEW

※この記事は、南山大学名誉教授の三上茂氏のHP「ファチマの真実」を参考にさせていただき、歴史的事実や私見を交えながら進めていきたいと思います。

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聖母出現には前には天使の出現があった

ファティマの聖母出現は、いきなり1917年に起こったものとずっと思っていたのですが、実は、その前段として、2年前にあたる1915年と1916年に「天使の出現」というのがあったのです。1915年といえばは第一次世界大戦が始まって2年目の年で、日本では、大正4年、連合国側に立ち参戦することになります。

まず、1915年、ルシアとその友人たち(この時点ではフランシスコとジャシンタはまだ出てきません)は、3回にわたり「白く光り輝く天使の姿」見ました。彼女はその姿を「紙で巻かれた人物のよう」だったと表現しています。

その翌年の1916年、またしても天使が出現しました。
この年はルシアは友人とではなく、いとこのフランシスコとジャシンタと共に羊の放牧に出かけ、春、夏、秋に計3回、天使の出現を受けました。その天使は、14、5歳ほどの少年の姿だったことが後に記述されていて、ルシア、フランシスコ、ジャシンタの3人に祈りを捧げるようメッセージを残し、額を地につけたイエス様、聖母マリア様への祈りの作法、そして祈りの言葉までをも教えてくれています。

聖母(Our lady of Fatima)の出現

ファティマで出現した聖母ですが、海外では通常、Our lady of Fatima(ファティマの我らが貴婦人)という言い方をすることが多いようだ。ちなみに、聖母は自らのことを「天から来た者」とだけ言っていてマリアだとは言っていない。1930年にバチカンがファティマでの聖母出現を公式に認めた時に、マリアだと断定されたのかもしれないが、マリアで合っていると僕は思います。厳密に言うとみんながイメージするマリア様ではないとも思うのだけど、それは別の機会に書きます。ここでは、「聖母」で統一したいと思います。

聖母出現は、1917年5月13日から6ヶ月間にわたり、6回ありました。月ごとに見ていきましょう。

第1回 聖母出現 1917年5月13日(日)

3人の羊飼いは、コヴァ・ダ・イリアと呼ばれる土地に羊に草を食べさせるために出かけたが、そこで彼らはピカッと光る閃光を見る。これは稲光でこのあと大雨がくると判断した3人は帰路につきます。

すると、小さなウバメガシの木の上に全身を白い衣装に身を包んだ貴婦人を見ました。ルシアの表現によると「太陽よりももっと明るく、キラキラ輝く水で満たされた水晶のコップよりも透明で強い光線を発していました。(HP「ファチマの真実」より)」とある。

聖母は「恐れないで、私はあなた方に危害を加えませんから」と言って自らのことを「私は天からの者です」と言っている。

そして、これからの6ヶ月間、毎月13日の同じ時刻にここ(コヴァ・ダ・イリア)に来るよう求めた。そして、聖母が両手を広げると、彼女の手から非常に強い光を子どもたち3人に向かって放射した。3人は心のなかで祈りを唱えると、聖母は、世界平和と戦争終結のために毎日ロザリオの祈りを捧げるよう告げ、東の方角へと天に昇って行かれました。これらは約10分間のことでした。

3人の牧童の前に現れた聖母(貴婦人)ですが、フランシスコには聖母の姿を見ることはできましたが、その声は聞くことが出来ませんでした。妹のジャシンタには、姿も見え話を聞くこともできましたが、彼女自身、聖母に話しかけることはありませんでした。一番年上で彼らの従姉妹にあたるルシアだけが聖母と会話し、その後唯一の生き証人として、97歳に亡くなるまで永きに渡りカトリックの修道女としての使命を全うした。

第2回 聖母出現 1917年6月13日(水)

2回目の出現の日、コヴァ・ダ・イリアには、聖母出現の噂を聞きつけた人々が近隣の村から50人ほど集まっていました。言うなれば、最初のファティマ巡礼の人々です。ファティマからはほとんど来ていませんでしたが。

聖母が現れ、ルシアが「あなたは何をお望みですか」と尋ねると、来月も13日にここに来ること、毎日ロザリオの祈りをすること、読み書きの勉強をすることを望むと伝えた。

そして、ジャシンタとフランシスコを間もなく天国に連れて行くが、ルシアだけはもう少し長く地上にとどまらなければならないと告げました。イエスもそれを望んでいて、人々に信心を打ち立てるために必要なのだと。そしてルシアを決して見放すことなく、自分の穢れなき御心はルシアを神へと導くためにある道なのだと。

つづいて聖母は両手を広げ3人の子どもたちにおびただしい光線の束を注ぎました。ルシアによると、彼らはいわば「神の中に浸された」かのようで、この時彼らは聖母の汚れなき御心を見ました。ルシアの言葉によると、「聖母の右の手の前に茨によって取り囲まれた心臓があって、それを茨が突き刺していました。私たちはこれがマリアの汚れなき御心であり、人間の罪によって踏みにじられ、償いを求めておられるということを理解しました。」

「茨に囲まれ。突き刺さった心臓」というのがスゴいですね。まるで宇宙人の為せる業のようです。

そして、聖母の言ったとおり、最後の出現から約1年半後にフランシスコが当時世界的に流行した当時スペイン風邪と言われたインフルエンザに罹って亡くなってしまう。その翌年にはジャシンタも亡くなった。

また、集まった50人の人々ですが、彼らの多くは、不思議な現象を経験しています。

  • ルシアが「聖母が去って行かれる」と叫んだときに、ロケットのような音がした。
  • 聖母が東の方角に去って行かれるときに、木の枝が東の方へとなびいた。
  • 小さな雲が東の方角へ向かって上って行った。
  • 聖母が御出現になったウバメガシの木のてっぺんの若枝が人が乗ったように傾いた。
    (出典:ファチマの真実
  • 聖母の出現している木の枝が黄金色に変わっていた。
  • 周囲には、何ともいえない芳香がただよい、中にはブーンという「蜂の羽音」に似た音が聞こえた者もいた。
    (出典:月のUFOとファティマ第3の秘密―NASA極秘写真が明かす

最初の巡礼者となった彼ら50人は村に帰り、自分たちの経験した不思議なことを人々に語ります。このようにして、次の7月13日の御出現にはもっと多くの人々が集まることになる。

しかし、ファティマの大人たちはこの時も聖母出現を信じませんでした。ルシアの母親、姉妹さえも信じていなかったのです。

そして教区司祭フェレイラ師によって3人は質問されます。質問が終わり3人に宣告した言葉は「すべては悪魔の仕業だ」でした。この宣告にはルシアはショックを受け、まだ幼い心を大いに締め付けました。それでルシアは、もう約束の日にコヴァ・ダ・イリアには行かないと決心します。このことをフランシスコとジャシンタに告げると、ジャシンタは泣いてその決心を翻すように頼みます。が、ルシアの決心は変わりませんでした。傷ついたルシアとその決心を受け入れられないジャシンタは、翌月の13日までの1ヶ月間、さぞ辛かったことだろうと推測されます。

ちなみに、3人が当時住んでいた実家がこちらです。

(左:ルシアの生家、右:フランシスコとジャシンタの生家 出典:The Children of Fátima

第3回 聖母出現 1917年7月13日(金)

ルシアが葛藤の中苦しみながら、約1ヶ月が経ち、約束の第3回目の日がやってきました。

もう行かないと決めていたルシアだったが、抵抗できない「ある力」に促されて、突然行かなければならないと感じたそうです。それで従兄妹の家に行くとフランシスコとジャシンタはベッドの側で泣いていました。ルシアがコヴァ・ダ・イリア行こうと言うと2人の顔は歓びに満ち溢れました。

コヴァ・ダ・イリアには、噂を聞きつけて集まった人が前回の50人より大分増えて1000人から2000人、5000人という人までいましたが、前回よりはかなり増えていたことは確かです。

約束の時間になると聖母が現れました。

「悪魔の仕業だ」と決定を下した神父の言葉が頭にあったのか、ルシアは、「あなたがどなたであるかを教えていただきたいのです、そして、すべての人が見て信じるように奇蹟を行っていただきたいのです」とお願いします。

すると聖母は、10月に私が誰であるか、何を望んでいるかを教え、すべての人のために見て信じるように一つの奇蹟を行うと約束します。

聖母はつづけて罪人のために自身を犠牲にして捧げるように言った後、所謂「ファティマ3つの預言」と呼ばれることを言い渡す。詳しく書いているサイト「ファチマの真実」より引用させていただこう。

聖母は、5月、6月の時と同じように両手を拡げられました。強い光線が地上を貫き、その中で彼らは一瞬の間でしたが、火の海のような地獄を見せられました。悪魔、人間の形をした霊魂たちが絶望と苦悶のうちに透明な火の固まりとなっていました。ルシアが恐怖のあまりに叫んだ声を周りにいた人々が聞いています。三人は救いを求めるかのように聖母を見ました。そのとき、聖母はこうおっしゃいました。

-あなたがたは哀れな罪人たちが行く地獄を見ました。彼らを救うために、神は世界の中に私の汚れなき御心に対する信心を打ち立てることを望んでおられます。私があなたがたに言っていることがなされるならば、多くの霊魂が救われ、平和が来るでしょう。戦争は終わるでしょう。しかし、人々が神に背くことを止めないならば、ピオ十一世の御代の間にもっとひどい戦争が起こるでしょう。未知の光によって照らされる夜を見るとき、これが神によってあなたがたに与えられる大きなしるしであるということを知りなさい。神は戦争、飢饉、教会と教皇の迫害によって世界をその罪のために罰しようとしておられるのです。-

-このことを避けるために、私は私の汚れなき御心へのロシアの奉献と、初土曜日の償いの聖体拝領を求めるために来るでしょう。もし私の要求が顧みられるならば、ロシアは回心し、平和が来るでしょう。もしそうでないならば、ロシアは戦争と教会の迫害を引き起こしながら、その誤謬を世界中に広めるでしょう。善い人々は殉教し、教皇は多く苦しみを受け、さまざまの民族が絶滅させられるでしょう。-……..(ここに第三の秘密と言われる部分がありますが未公開)

-最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇は私にロシアを奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、ある期間の平和が世界に与えられるでしょう。-
-ポルトガルでは信仰の教義が常に保たれるでしょう。このことを誰にも言ってはいけません。フランシスコには、ええ、言ってもよいです。-

-ロザリオの祈りを唱えるとき、各玄義の後にこう言いなさい。おお、わがイエズスよ、私たちの罪を赦し、私たちを地獄の火から守ってください。すべての人々、ことに最も御憐れみを必要としている人々を天国へ導いてください。-

(出典:ファチマの真実

3つの預言ですが、1つめは地獄の存在とその光景を実際に見せてからの救いのための聖母の御心への揺るぎない信心の必要性、そして、2つめは第一次世界大戦の終焉と第二次世界大戦の勃発の可能性とその時期、3つ目が有名な「ファティマ第三の預言」または「ファティマ第三の秘密」と呼ばれるものです。

ロシアは1917年2月革命によって約300年続いたロマノフ王朝が崩壊し、10月革命を経て、やがてソビエト連邦へとなっていく。世界初の社会主義国の誕生だった。共産主義下では、基本的に宗教を認めませんので、ロシア正教会は弾圧されることになる。教会を焼かれ、破壊され、宗教活動をしたというかどで数千人の聖職者は処刑され、信徒も処刑されるか逮捕されました。

ソビエト連邦 宗教弾圧(Wikipedia)
ロシア正教会の歴史(Wikipedia)

聖母出現のきっかけですが、それはこの後のソ連によるロシア正教会、ウクライナ正教会などの宗教弾圧が発露になっていると思う。無神論の共産党政権により数万人にも及ぶ聖職者や信徒が処刑され、歴史ある大聖堂はじめ数々の教会が破壊されたのだ。結果的にはロシアは回心することなく、その後約70年にも及ぶ共産主義政権下で、宗教弾圧をつづけていくことになるのだが。。。

ま、ロシアを名指ししているのは当時の共産化政権樹立に向けた時期だからこそで、聖母が回心せよと言っている対象は何もロシアに限らず、その後、世界中(特に日本を含む先進国と呼ばれる国々)で、政治家や国民はモラルを失い、拝金主義で堕落した退廃的な文化を形成していくことになるのですが。

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「ファティマ第三の秘密」とは?

それでは、ファティマ第三の預言(秘密)とはいったい何だったのでしょうか。

聖母はルシアに対して、この第三の秘密だけは1960年になってから公開してもいいが、それまでは秘密にすることを厳命した。3つの預言は、ルシアによって1941年に書かれたものとされるが、第1と第2の預言については1942年、ファティマの奇蹟から25周年の年にバチカンより発表された。

が、第3の預言だけは1960年までの間、バチカンの資料庫に最重要秘密文書として厳重に保管されることとなった。

やがて、第三の秘密の公開が世界中から待たれてきた1960年が訪れたが、2月8日、ローマ教皇庁(バチカン)は簡単な新聞報道を通して「ファティマ第三の秘密は公開されない」と発表した。なんでも、第三の秘密を読んだ時の教皇ヨハネ23世が衝撃のあまり卒倒したとの情報もあるが、実際、これまでに数人の教皇がそれを読んで青ざめたというのは本当らしい。

1960年になっても公開されなかったせいで、いろいろな憶測が飛んだ。当時は東西冷戦の真っ只中だったので、核兵器使用による第三次世界大戦だと思った人が多かったようだ。

そして40年が経ち、2000年6月にバチカンより正式に「第三の秘密」について発表された。その内容は、「1981年に起きた教皇ヨハネ・パウロ二世暗殺未遂事件」がそれだったというのだ。約20年前の1981年5月13日(奇しくも第一回目のファティマ聖母出現の日と同じ日)に、バチカンのサン・ピエトロ広場で教皇ヨハネ・パウロ二世がテロリストから2発の銃弾を浴びて重症を負った事件だ。

この発表には拍子抜けになった人がほとんどでした。そりゃあそうでしょう、20年も前に起きたことを持ち出してきて、しかも第2の預言が第二次世界大戦勃発だったのに比べ、第3の預言は教皇の暗殺だけ?しかも未遂に終わり成就していないし。40年も隠し続けてきて、たったそれだけ?って思ったでのしょうね。何人もの歴代教皇が1960年代にそれを見て絶句しているのですから、もっと衝撃的なことだったことは容易に推測されます。

というわけで、2000年の教皇庁の発表は虚偽または改ざんされたものか、一部のみの発表だったというのが大勢の方の思うところだと思います。

ちなみに、後にシスターとなったルシアですが、この第三の予言について、「それは黙示録にあります」というようなことを語っていたように思うが、やはり終末的なことを指しているのだと思う。人類の科学をもってしても抗えない、例えば隕石の落下に伴う氷河期とかポールシフトとか、アセンション(次元上昇)とかですね。

また、1961年からアメリカで始まるアポロ計画があったために1960年になったら理解できるようになるということでその年を想定したのではないかとも推測します。つまり、宇宙やUFO、宇宙人と関連があるということです。


(後のシスター・ルシアと教皇ヨハネ・パウロ二世 出典:PAPABOYS3.0

第4回 聖母出現 1917年8月19日(日)

8月11日になり、子どもたち3人に問題が発生します。ルシアとフランシスコ、ジャシンタの3人が父親とともに郡当局によって呼び出されたのです。根掘り葉掘り質問された挙句、二度とコヴァ・ダ・イリアには行かないと約束するように脅迫さえされました。そして、聖母出現の13日になり、3人は公権力によって無理矢理馬車に乗せられ、世間を惑わすというかどで監禁されてしまいます。(出典:「ファチマの真実」)

結局、13日はコヴァ・ダ・イリアに行くことが出来ませんでした。3人がいないにもかかわらず、群衆は1万8千人ほど集まっていました。そして、突然、雷鳴が轟きわたり、稲光が光ったかと思うと、例のウバメガシの木の上に白い雲が現れました。そこにいた人々が目撃しています。

当局による3人の監禁は15日まで続き、いろいろと脅されたりしましたが、秘密を口にすることはしませんでした。

4日後の8月19日、ルシアたちはロザリオの祈りを捧げるためにコヴァ・ダ・イリアに行くと、予期せぬ聖母の出現が起こりました。

聖母は10月には全ての人々が信じるように一つの奇蹟を行うことを、7月のときと同じように約束しました。ただ、公権力による監禁がなされたせいで、予定していたものよりもその奇蹟を縮小する意向を伝えました。

ルシアがコヴァ・ダ・イリアに見に来た人々が残していったお金で何をすればよいか尋ねると、聖母は2つの駕籠(かご)を作ること、残りのお金でここに聖堂を建設するために使いなさいと言いました。

第5回 聖母出現 1917年9月13日(木)

この日、ファティマへと続く道は馬車や自動車、自転車などでで大混雑していました。人々はルシアたち3人を見つけると、さまざまな願い事を聖母に取り次いでもらうことを懇願しました。

3人がやっとの思いでウバメガシの木にたどり着くと、ルシアがロザリオの祈りを唱え、人々も続いて唱和しました。すると、東の方角から西に向かってゆっくりと動いていく光り輝く球体を見ました。3万人のうちの多くもそれを目撃し、叫び声を上げました。異常な光を放っていたその球体は突然消えると、ウバメガシの木に近づきました。そしてその時、太陽の光が鈍り、あたりが黄金色になりました。真っ昼間にもかかわらず、空に星を見たという人もいます。(出典:「ファチマの真実」)

また、別のサイトには、9月13日の聖母出現の模様を次のように綴っている。

この日は葡萄の収穫期であるにもかかわらず、3人が当局に監禁された話も伝わって人々の関心を呼び、群集は3万にも膨れあがった。正午きっかり、急に太陽が光を失い暗くなったとき、あたり一面、光一色となった。そして全員が見守る中、東の空に銀白色に光輝くタマゴ型の球体が現れ、西に向かってゆっくりと移動するのが見えた。この奇跡の正体を暴こうとする司祭が一部始終を目撃していた。「あれは天国の乗り物で、聖母を玉座から、この禁断の荒野へ運んできたのだ」と語った。以来、このタマゴ型の球体は「聖母の乗り物」と称されることになった。

(出典:ファティマの奇跡と聖母預言2

そして聖母が現れ、ルシアに戦争が終わるようにロザリオの祈りを続けること、9月19日にも言ったように人々が残していったお金で駕籠と聖堂を作ること、10月に全ての人々が信じるように奇蹟を起こすことを告げると東の空へと昇っていきました。

それにしても、「銀白色に光り輝くタマゴ型の球体」これは紛れもなくUFOである。が、1917年の時点ではUFOという言葉ももちろんないし、概念すらなかった。空飛ぶ円盤(フライング・ソーサー)という言葉は1947年のケネス・アーノルド事件で広まったものだし、ジョージ・アダムスキーがはじめてUFOと遭遇したのは1952年のことである。

なので、1917年の時点では、銀色のタマゴ型の球体を「聖母の乗り物」と呼んだのは無理もなく、実際に見たまんまを表現したっていうことでしょう。

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「ファティマ第三の予言」を騙った偽情報に注意!

2017年は、ファティマの奇蹟から100周年にあたりますが、世界情勢もそれに呼応するかのように、やれ核実験だ、やれミサイルだと、テレビや新聞はやたらきな臭さを煽っております。まるで、「ファティマ第三の秘密」が「第三次世界大戦勃発」のことだとして、それを成就させようとしているかのように。

でも、心配しないでください。次のことを知ることで心配がなくなります。どういうことかというと、すべての戦争はあらかじめ予定されて仕掛けられたものであり、マッチポンプ、自作自演であります。目的はお金儲けです。お互いのトップはつながっています。そのトップですら、あるところからの指示によって動いているのです。同じところから武器が供給されていたりとか、、、笑っちゃいますよね。

そんなことは露知らず、扇動され、必死になって戦っているのは、何も知らされていない国民だけです。この洗脳に早く気づかなければいけませんし、お互いの国民同士の無駄な敵視をやめなければなりません。

「分割して統治せよ」という支配者の思惑に踊らされないでください。人種、宗教、地政学的問題、身分制度など、お互いを対立させ、反目させて、そのどちらをも支配するというのは、古代ローマ時代より続いてきた常套手段です。ですので、ヒステリックな政治家や運動家の声に耳を貸さないでください。テレビ画面の中で演出された映像を信じないでください。戦争はいつだって、金儲けの起爆剤として意図的に始められているのですから。

「ファティマ第三の予言」に限らず、メディアを通して出てくる予言などというものはほとんどが偽情報です。世界大戦や大地震、隕石落下、惑星衝突など、人々を心配させて波動を下げさせるための道具にすぎません。波動を下げると支配者が民をコントロールしやすいからです。

実際に、きな臭い計画も進んでいるかもしれません。でも安心してください、そんな世界の鈍重な波動に共振することがなければ、そっちに引き込まれることはありません。

いつだっていくつもの世界が同時進行で進んでいます。並行現実、パラレルワールドと言います。あなたは「怖れ、不安、怒り」のパラレルワールドに身を置きますか?それとも、「愛、調和、感謝」のパラレルワールドに身を置きますか?選ぶのはあなたです。

世界権力がお金儲けのために戦争を仕掛けようとしていることに気づいてください。そして、そこに注意を向けないでください。賛成するも反対するも、どちらともその波動に共振していることになりますので。

そして、テレビや新聞の報道を鵜呑みにしないでください。すべては演出です。洗脳の道具です。偏った情報を撒き散らしているだけのものなのです。

そんなことより、「愛と調和、感謝」の波動を発信していくことの大切さを今一度胸に刻みましょう。ひょっとしたら、ファティマの聖母のメッセージもそういう意味だったのかもしれませんね。さらに、このような世界情勢の今、このタイミングでファティマの奇蹟100周年を迎えることにも、何か意味があるのかもしれません。

次回は、ファティマの聖母の正体は何か?について書きますのでお楽しみに。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。Chao!

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