淡路島〜四国・剣山登頂ツアー(淡路島編)

パワースポット探訪

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はじめに

個人的なことですみませんが、ここんとこ、またもや四国に行きたくなってきております。特に徳島の吉野川流域の忌部氏の里に興味が尽きません。

2015年、今年の夏にも実は、急に徳島の剣山に登りたくなりまして、大阪から友達の車で、1泊2日の日程で剣山登頂ツアーを敢行しました。剣山といえば、やはりユダヤ失われた10支族との関係です。そして、ユダヤをテーマに行くのなら、淡路島経由でとなったのです。

今回は、この夏行ってきた、淡路島〜四国・剣山ツアーでの写真とともに、ご紹介したいと思います。是非、淡路島や剣山にこれから行こうと思ってる方がいらっしゃるならば、少しでも参考になれば幸いです。

1日目 その1 – – – 伊弉諾神宮

金曜の夜、大阪の弟家族の家に泊めてもらって、翌日からの旅に備えます。
土曜日の朝、6時に友達が車で迎えにきてくれました。いざ!出発です。

阪神高速神戸線をひた走り、垂水Jctより神戸淡路鳴門自動車道に乗り、明石海峡大橋を渡ったらあっという間に淡路島。
大阪や神戸の人たちは、いつでも淡路島や四国へぷら〜っと遊びに行けるなんて羨ましいですね〜。
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淡路島で一旦高速を降り、県道88号(おぉ、数霊!)を走り、最初に向かったのは伊弉諾(いざなぎ)神宮。立派な神社です。いかにも天孫系の神社の香りがします。

伊弉諾神宮 MEMO
【ご祭神】伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
【ご由緒】古事記・日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、御子神なる天照大御神に国家統治の大業を委譲され、最初にお生みになられた淡路島の多賀の地に「幽宮」を構へて余生を過ごされたと記される。
【アクセス】(地図はこちら)

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この神社は伊勢や熊野と五芒星を為す神社でもあり、伊勢から太陽の道が走っており、その真西に当たります。

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淡路島といえば、国産み神話です。

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古事記、日本書紀によると、淡路島のオノコロ島に降り立ったイザナギとイザナミの二柱の神は、淡路島を最初に産んだ後、四国 → 隠岐 → 九州 → 壱岐 → 対馬 → 佐渡 → 本州の順に国産みをされ、その後、幽宮(かくりのみや)として、ここ伊弉諾神宮で余生を過ごされたというのは由緒書きにある通りです。

さて、古事記にも書かれている伊弉諾尊の幽宮の場所として、日本にはもう一箇所、その場所だとされているところがあります。滋賀の琵琶湖にほど近い場所に鎮座する多賀大社です。この神社もご祭神は伊弉諾尊と伊弉冉命です。(参考:多賀大社HP

伊弉諾神宮は淡路市多賀という場所にあるのですが、多賀大社も滋賀県多賀町にあり、どちらも「多賀」となっていて、どちらも伊弉諾尊と伊弉冉命をお祀りしています。

また、淡路島は、滋賀の琵琶湖から地面が飛び出して出来たという伝説もあります。これらも含め思いを馳せると、やはり何らかの関係があるという気がしてならないですね。

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淡路島は、まさに琵琶湖から飛び出てひっくり返ったかのような地形をしていますが、もう一つの解釈も面白くて、淡路が男性器で、琵琶湖が女性器となり、合わせると2つの勾玉のように陰陽の太極が出来上がるというのです。真偽はともかく、とても興味深い話ではありますね。

ところで、僕は記紀に関しては全面的に信頼している訳ではなく、どちらかというと上記(ウエツフミ)やホツマツタヱカタカムナ九鬼文書などのいわゆる古史古伝をも合わせて検証しなければならないという立場なので、国産みに関してはそこまで感情移入は出来なかったのですが、淡路島や伊弉諾神宮のレイラインとしての興味は尽きず、実際、次の図が伊弉諾神宮の社内にあり、見てみると東の伊勢神宮内宮から西の対馬・海神(わたつみ)神社へ、夏至には長野・諏訪大社から宮崎・高千穂神社へ、冬至は熊野那智大社から出雲大社へと、興味深い太陽のラインが盛りだくさんです。

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また、淡路島のレイラインといえば、下記画像(「日本とユダヤのハーモニー」様よりお借りしました。)にあるように、九州から東日本まで伸びるレイラインに魅了されていて、今回の旅でも手作りの行程表といっしょにプリントアウトしたものを持っていったくらいです(^ ^)

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話を旅に戻しましょう。伊弉諾神宮をお参りしたあと、本当なら伊勢の太陽の道ラインにある伊勢久留麻神社、それから女人禁制で巨石磐座のある舟木石上(いわがみ)神社に参拝したかったのですが、何分慣れない土地での車での旅、時間的に無理で、今回はパスしました。

それにしても、淡路島は広い!

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1日目 その2 – – – ホテルニューアワジ ユダヤ遺跡

・・・ということで、次に僕たちが向かったのは、古茂江(コモエ)海岸、洲本市小路谷(オロダニ)にあるホテルニューアワジ別邸 淡路夢泉景(旧 旅館 四州館)。海辺に建つこのホテルの庭先にユダヤ遺跡があるということで、宿泊客でもないのに一言断って入らせてもらい、見に行きました。

それがこちら。

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発見された当時は、この石の天板(!?)には、六芒星が見られたという。

で、中を覗いてみると・・・

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この遺跡は昭和27年に見つかったらしいのだが、次のような逸話があるんです。

【昭和27年の淡路島の騒動】

それは、ある男の不可解な急死によって始まった。
その男の名は森重吉氏、淡路島洲本の小路谷(オロダニ)で四洲園という旅館を営業していた。彼は、旅館の湯殿を建てようとして整地していたところ、遺跡と しか思えないものを掘り出してしまったのだ。その夜、うめき声をあげながら急死した。昭和9年9月21日、享年47歳であった。遺跡と急死の因果関係はわ からないが、さらに、一逮夜の日、室戸台風が襲来し、旅館まで大被害を受けたのである。
近所の人々は、岬神の祟りであると恐れ、その遺跡を埋め戻してしまったのである。

この遺跡が、脚光を浴びるのは、昭和27年まで待たなければならなかった。
白山義高氏は、この遺跡がイスラエル人の遺跡であるとの自説を発表し、その話を聞いて、昭和27年10月14日に、再び発掘されることになった。それも米軍に同行していたイスラエルのローゼン大司教や日本イスラエル協会長小林孝一らが立会う大規模なものであった。

(出典:淡路島に残るイスラエルの足跡

これは本当にユダヤ失われた10支族に関連する遺跡なのでしょうか。日本人のルーツに関わることなので、公式には、アカデミー的には絶対に本当のことを発表されないので、我々民間人の知恵を結集させるほかありません。

さて、ホテルニューアワジを出た我々は、次の場所を目指して県道をひた走ります。

1日目 その3 – – – 諭鶴羽神社〜山頂登山

そして、来ました。元熊野・諭鶴羽神社です。ゆずるはじんじゃと読みます。オロダニやオノコロと並び、これまたヘブライっぽい響きです。

ここ諭鶴羽神社は、淡路島南部の南あわじ市にある、淡路島最高峰の山、諭鶴羽山(標高607.9m)にあります。車1台でいっぱいいっぱいの細い山道を走ります。

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鳥居をくぐり、こちらが拝殿です。

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諭鶴羽神社 MEMO
【ご祭神】伊弉冉命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)

【ご由緒】社伝によると、紀元前約98年頃、開化天皇の御代にイザナギ、イザナミの二柱の神様が鶴の羽に乗りたまい、高天原に遊び給うた。狩人が鶴の舞い遊ぶのを見て矢を放つと羽に命中し、傷を負った鶴はそのまま東の峰に飛んで隠れた。狩人が後を追うと、「我はイザナギ、イザナミである。国家安全、五穀豊穣成就を守るためこの山に留まるなり。これよりは、諭鶴羽権現と号す。」狩人は涙を流し前非を悔い、その罪を謝り奉り、弓矢を捨ててその地を清め、大工を招き一社を建て神体を勧請し奉る。

また、別に昔、第十代崇神天皇の御代、西天竺(てんじく)の霊神が5つの剣を東に向かって投げられ、「我の縁のある地留れ」と誓い給うた。一つは紀伊国室(牟婁)の郡に(熊野三山のこと)、一つは下野国日光山に、一つは出羽国羽黒山に、一つは豊前国彦山に、一つは淡路国諭鶴羽山に留ったと伝えられる。

さらに、「熊野権現御垂迹縁起」によると、唐の天台山の霊神が九州筑紫国・英彦山の峰に降臨され、伊予の石鎚山に渡られ、淡路国・諭鶴羽山を経て熊野新宮・神蔵(神倉)の峯へ渡られたとされる。そしてそれが熊野の神様となって今に至る。

【アクセス】〒656-0532 兵庫県南あわじ市北阿万稲田南(地図はこちら

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現在の中国で霊山と言われている天台山(地図)の霊神が福岡・英彦山に降り、そこから愛媛・石鎚山に渡り、淡路島・諭鶴羽山を経て熊野新宮の神倉山に降り立ったという伝説が元になって、元熊野宮と伝えられているという。

ちなみに、今回は行かなかったのですが、諭鶴羽古道という登山道の標高260mのところには、神倉(かんのくら)神社という小さなお宮さんがある。諭鶴羽神(イザナギ、イザナミの神)の乗った鶴が大樹で羽を休められたという由緒ある場所に建てられた神社ですが、熊野新宮の神倉(かみくら)神社との関連もちょっとよぎったりもします。

ともあれ、ここ諭鶴羽神社は、熊野本宮に生まれ9歳から高校卒業まで新宮で育った僕にとって、ここは是非訪れたかった場所なのである。

実際行ってみると、海もわりかし近い場所にあるためか、熊野・南紀の山の植物にも似た生態系で、ウバメガシ(紀州備長炭の木)もあったりして、なんだか懐かしい。

さらに僕たちは、諭鶴羽山山頂を目指して歩く。距離にしてたったの400mほどだが、急な山道の400mはかなりこたえる。

山頂に来ました。トンボがたくさん飛んでいて、僕たちを歓迎してくれていました。見晴らしがよく、海を挟んで四国の山々や和歌山も見えました。

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山頂にある諭鶴羽神社の御旅所。

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こちらは、諭鶴羽神社から見て南に位置する住吉神社です。はじめ、ここが諭鶴羽神社なのかと思うような場所にありました。

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諭鶴羽神社を後にした僕たちは、また高速に乗り、神戸淡路鳴門自動車道で鳴門大橋へ。

1日目 その4 – – – 鳴門大橋を渡って四国上陸

淡路島に別れを告げ、いよいよ四国上陸です。鳴門のうずしおを見ることが出来ました。

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四国に渡った僕たちは、腹ごしらえして、、、

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そしてこれから、四国中央部にある徳島最西端、大歩危(おおぼけ)・祖谷(いや)のホテルを目指します。

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淡路島編 – – – まとめ

・・・ここで、今回の旅の前編、淡路島編はおしまいになります。

いや〜、それにしても淡路島は広い!神社がたくさんあって、巨石(磐座)やユダヤ遺跡もたくさんあります。国産み伝説も絡めると、歴史的にすごく重要な場所であることは確かです。結局、ユダヤと日本の神々との関連など、決してアカデミズムでは語られない真実が隠されていろことでしょう。

そして、海の幸、山の幸が豊富で本当に最高な土地です。今回はゆっくりと回ることが出来ませんでしたが、近いうちに2日か3日かけて沼島や絵島、巨石なんかもゆっくりと回りたいと思います。

淡路島〜四国・剣山登頂ツアー(大歩危・祖谷渓編)につづく

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